商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 山川出版社/ |
発売年月日 | 1999/05/30 |
JAN | 9784634520103 |
- 書籍
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徳川昭武幕末滞欧日記
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徳川昭武幕末滞欧日記
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慶応3年のパリ万博への徳川昭武派遣での昭武が書いた日記。途中から仏文になる。日記を書くことはなかば義務だったのだろうが、短いが毎日書いている。パリ、チュイルリー宮殿でナポレオン三世への謁見、万博会場への見回り、ナポレオンの招待でベルサイユ宮殿にも見学に行っている。 その後スイス...
慶応3年のパリ万博への徳川昭武派遣での昭武が書いた日記。途中から仏文になる。日記を書くことはなかば義務だったのだろうが、短いが毎日書いている。パリ、チュイルリー宮殿でナポレオン三世への謁見、万博会場への見回り、ナポレオンの招待でベルサイユ宮殿にも見学に行っている。 その後スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスと各国巡行のあとパリに戻り本格的な留学生活に入る。これがけっこうハード。乗馬をよくしている。シミナスの稽古というのもあり、これは体操。 慶応4年1月4日(旧暦)には「日本より悪き新聞有り」と記し、大政奉還の知らせを記している。大政奉還は前年10月なので2カ月遅れである。慶喜はあらかじめ日本でなにがあっても留学は続けるように、との留学心得を昭武に送っている。1年半たった慶応4年6月から帰国までは仏文の日記。こちらも原文と訳文が載っている。訳文のせいもあるが日本語での日記よりのびのび詳しく書いている。仏語教師の助言があったであろうとの解説だが、14歳の昭武、なかなかに勤勉でハードな日課にも耐えている。上に立つものはこうなのか。 少し前にNHKで「パリ万博と渋沢栄一」というのをやっていて、栄一はパリで下水の中に入って見学してるんですよ、と言っていて栄一の興味で1人で調べたような語りだった。が、昭武日記にも「巴里斯之下の水道・下水を見る」とあり、これは行事として一行で見学したようだ。大庭氏の解説には栄一の見学の日記も紹介されていて、中央の水路の両側は歩けるようになっていて、異臭が鼻を穿つとある。 日記でのわかりずらい言葉や事項には注で説明があるのでこれはよい。またパリから日本へ送った書状など23点も収録されている。 日記資料のほかに 「松戸徳川家伝来の慶応3年遣仏使節団関係史料について」(柏木一朗) 「徳川昭武にとっての滞欧体験~「徳川昭武日記」を読む(大庭邦彦) 「徳川昭武の仏文日記」(角川元保)の一文がついていて、理解の助けになる。 ・御日記 慶応3年1月3日(1867年2月7日)~慶応4年6月14日(1868年8月2日) ・徳川昭武仏文滞仏日記 慶応4年6月14日(1868年8月2日)~9月4日(10月19日) ・徳川昭武仏文帰航日記 慶応4年8月30日(1868年10月15日)~11月4日(12月17日) 1999.5.30第1版第1刷 図書館
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慶応三年に渡欧した徳川昭武の日記。そして随行したひとたちの日記、記録。 昭武のフランス語での日記(翻訳、原文つき)は感情が出ていて、興味深いです。
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