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埴谷雄高
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埴谷雄高

鶴見俊輔(著者)

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埴谷雄高

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2005/02/18
JAN 9784062127769

埴谷雄高

¥2,640

商品レビュー

3.5

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2013/03/09

『死霊』は、発表当時よく理解されたとは言えなかった。その難解さから友人の岡本太郎に「なにをいうたか」というあだ名を奉られたほどだ。ところが、学生運動が盛んになった時代、埴谷はがぜん脚光を浴びることになる。旧来の革新勢力の運動方針に不満を抱いていた学生に、埴谷の政治論文は新鮮に感じ...

『死霊』は、発表当時よく理解されたとは言えなかった。その難解さから友人の岡本太郎に「なにをいうたか」というあだ名を奉られたほどだ。ところが、学生運動が盛んになった時代、埴谷はがぜん脚光を浴びることになる。旧来の革新勢力の運動方針に不満を抱いていた学生に、埴谷の政治論文は新鮮に感じられ、カリスマ的な人気を博した。未完ながら、代表作『死霊』は、それまでの日本文学にはあまりなかった哲学小説として読む者を魅了した。 ドストエフスキーがネチャーエフ事件をもとに『悪霊』を書いたように、日本共産党のリンチ事件を背景に『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』を思わせる人物像を配置し、対話的な小説を描こうとしたのが『死霊』だった。ドストエフスキーの小説で登場人物たちがたたかわす神学論争のかわりに、政治哲学や存在論が、作家自身が「極端化、曖昧化、神秘化」と呼んだ手法で、極小から無限大宇宙まで敷衍される観念的な作風は、それまでの日本文学には見られないものであった。 鶴見がなぜ埴谷に興味を持ったのかといえば、埴谷の転向が他に見られない独自のスタイルをとっていたからだ。多くの転向体験者が、そのまっただなかにおいては、日本共産党や国際共産党の欠陥を見事に突いていながら、転向後は国家権力に身をすりよせ、かつて見せた直感的なひらめきを忘れてしまうのに対し、「埴谷の思想的生産性は、かれが転向から早く離脱しようと努力せず、転向過程のまっただなかにすわりこむことをとおして、転向以前の思想(共産主義)に対する批判を体系化するということにあった。」と、鶴見は指摘する。 党員として活動していた埴谷は、逮捕され、転向を強要される中で、自分の転向が調書を取る検事によってまったく別のものに作りかえられるという経験をする。それは共産党の機関紙の場合も同じである。いわば埴谷は、正史と党史という二つの政治の中で、政治的に抹殺されてしまったわけだ。以後、埴谷は自己を死者として想定し、生活者としての自分を幽霊に擬する。そして、自分しか知り得ない体験を、多くの推定でふくらませながら、文学として記述することで、そうした方法でしか語ることのできない真実というものがあることを明らかにしていく。 自分を死者と仮定し、その位置から現実の政治を批判してゆくという埴谷独特の方法論がここに生まれる。『死霊』は、その視点を小説に応用したものである。発表当時は、正当に理解されることの少なかった『死霊』だが「思想の科學」の発行者でもある鶴見俊輔は、象牙の塔に立てこもった学者とはひと味も二味も違う。埴谷の『死霊』を前にしても、その意匠に幻惑されたりはしない。初期の箴言集『不合理ゆえに吾信ず』を手がかりに、その骨組みを明らかにしてゆく。その論法は鮮やかにして懇切丁寧だ。 埴谷は植民地当時の台湾生まれである。その当時、自分の周りの日本人が、個人的には善人であるのに、台湾人に対しては差別的であったことに理不尽な思いを感じていたという。そういう日本人を憎む自分がまた日本人であるという矛盾。有名な「自同律の不快」は、ここから来ているという指摘には虚をつかれた思いがした。河合隼雄を交えた座談会で、鶴見の質問に応えて埴谷自身が語っている。すぐれた理解者でもあり、対話の名手としての鶴見を得て、自ら分裂気質と語る埴谷は一度語り出すと饒舌である。 この一冊の中には、1959年から2003年までの埴谷論、及び埴谷本人に河合隼雄を加えた座談会、高橋源一郎との対談も含め、鶴見がその最初期から晩年に至るまでずっと埴谷に注目していたことを示す論考が収められている。日本というシステムから意識的に距離を置いている点、精神的な病歴、学歴社会からの逸脱と、埴谷と鶴見には少なからぬ共通点がある。その意味でも鶴見は余人をもって代え難い論者だと言える。しかし、それだけではない。似た気質を持っているということは、それだけ差異も見える。哲学者鶴見俊輔ならではの視点が随所に光る画期的な埴谷雄高論である。

Posted by ブクログ

2006/07/28

あまりにも神格化されているために、敬遠する人も多い「埴谷雄高」。戦後民主主義を代表する哲学者が現在の境地からハニヤを語る。だが、政治的時代史的視点を引きずりすぎているのは、この世代独特の限界か。 ハニヤ文学は純粋に小説として読むべきであって、政治的、時代的背景に絡めて読む必要は無...

あまりにも神格化されているために、敬遠する人も多い「埴谷雄高」。戦後民主主義を代表する哲学者が現在の境地からハニヤを語る。だが、政治的時代史的視点を引きずりすぎているのは、この世代独特の限界か。 ハニヤ文学は純粋に小説として読むべきであって、政治的、時代的背景に絡めて読む必要は無い。その哲学的思想内容を存在論として受容するのも良いが、今こそ普通に、SF小説的に受容する読み方が可能だろう。

Posted by ブクログ

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